子どもを思う気持ちは同じなのに、
どうしてこんなにすれ違ってしまうのだろう。
発達障害のある長男を育てながら、
夫と私が少しずつ見つけてきた“バランスのかたち”を、
今日は書いてみようと思います。
発達障害のある子を育てていると、
一番ぶつかるのは――実は「夫婦の考え方」かもしれません。
わが家もそうでした。
長男の小学校のころから、夫と私は驚くほど違う意見を持っていました。
夫は「普通学級で頑張らせよう」と言い、
私は「特別支援学級で、本人に合った学びを」と考えていました。
通学の付き添いでも意見は分かれました。
夫は「親がそこまでしなくても」と言い、
私は「先生にすべてをお願いするのは難しい。安全が何より」と。
思春期には反抗も強くなり、
怒って家を飛び出すこともありました。
夫は「放っておけ」と言いましたが、
私はすぐに追いかけてしまう。
暗い道で名前を呼びながら、
“この子をひとりにしてはいけない”という気持ちでいっぱいでした。
高校進学のときも、
夫は「行かないと後で困る」と言い、
私は「本人が行きたいと思った時が、その時」だと考えていました。
社会の常識を大事にする夫と、
本人の心を大切にしたい私。
どちらも間違っていないのに、いつもすれ違っていました。
仕事の話になると、
夫は「障害者雇用に力を入れている工場がいい」と言い、
私は「本人に合う場所を探していきたい」と思う。
音への過敏さでも同じです。
夫は「我慢を覚えさせるべき」と言い、
私は「外では我慢ばかりしているのだから、家では安心させてあげたい」と。
どちらも愛情ゆえの言葉なのに、
時にそれがぶつかり合ってしまうのです。
そして、長男が大阪でCGを学びたいと言ったとき。
夫は「うまくいく保証がない」と反対しました。
でも私は、「たとえ結果がどうであっても、自分で経験して納得することが大事」だと思い、背中を押しました。
結局、長男と私の意見が一致することが多く、
夫も最終的には「一番近くで見ているあなたを信じる」と言ってくれます。
夫もまた、不器用ながら悩んでいたのだと思います。
どうすればいいか分からないなりに、
“父親としての正解”を探していたのだと。
今では思います。
夫婦が違うこと、それ自体が悪いことではないと。
視点が違うからこそ、見落とさずに済むことがある。
ぶつかるたびに、家族のかたちが少しずつ整っていく。
そんな気がしています。
同じように、夫婦で考えがすれ違って悩む方へ。
どちらの意見も、根っこはきっと「子どもを思う気持ち」です。
形は違っても、その愛情がぶつかっているだけ。
話が合わない日があっても、
歩幅がずれてしまう時があっても、
目指している先は同じ――そう信じてみてください。
子どもを育てることは、夫婦で学び合うこと。
時間をかけながら、
“わたしたちのペース”で前へ進んでいけばいい。
きっとその先に、
家族だけの優しいバランスが見えてくるはずだと思います。


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